英検1級合格前と後で、洋書の読書スピードは変わったか?
→圧倒的に処理速度が速くなった
日本語翻訳は岩波文庫版、洋書はarrow books版のもの。
実は、学生時代に岩波文庫版を買ったんだけど、なぜか毎回数ページ読むごとに挫折していたんだ。
それで、今回原書と比べながら読んでみたら、あっさり読破できた。
ちなみに、高校生1年生の時にサリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて(The Catcher in the Rye)』を英語で読もうとして挫折したね。
1.翻訳がこなれていない
2.英検1級の勉強で語彙力が上がりすらすら読めるようになった
1958年の発行だからね。いちいち表現やせりふ回しが古いのは仕方ない。
そして、「2」だけど、確かに辞書を引く回数が減っているから、読書スピードが上がってストレスなく読めた、というのはある。
洋書が「読める」感覚とは?
1.辞書を引いて単語の意味は分かるが、文章の意味が頭に入ってこない
2.辞書を引きながら文章の意味を拾うことができるが、1頁にかかる時間が長い
3.基本的に辞書なしで文章の意味がわかり、わからない単語や、解釈がいくつかある文章を辞書や文法書を使う。ただし、日本語の文章よりは1頁にかかる時間が長い。
いずれも鳥人間の場合だから、当然、3より上の段階があると考えてね。
当時は高校入試の英語は楽々解けて、中学レベルの英語なら口頭英作文も楽々できるくらいの実力ではあった。
だけど、単語力、読解力、文法力はしょせん中学3年生レベルなので、当然原書には歯が立たない。
辞書を引きながら、1文の解釈に1時間以上かけても、次の文章に進むとまた辞書の引き直し、という感じで、遅々として進まなかった。
雉も雉大学の英語に備えて使っただケーンが、なかなか骨太だったケーン。
大学入学時で「2」のレベル
その段階で、再度『ライ麦畑』を読んでみたら、高校時代とは違って、それほど苦労せずに一文一文を読めたんだ。
これは大学入試の対策のために、様々な長文にあたったことが大きいね。
つまり、大学入学の段階で「2」のレベルには達していた。だけど、スラスラ読める、という感じではなかった
せっかく単位取るなら、新しい言語を習得した方が学費が有効に活用できている、といえるじゃないか。
大学生協で『News Week』が安く定期購読できたし。
社会人になり、ダラダラ英語と付き合い「3」のレベル
それである時、ロバート・B・パーカーの『失投』を原書で読んだら、不思議な感覚があった。
ところで鳥人間は、日本語で小説を読むときに、話の展開が進まない風景描写とか移動描写とかあると、先の方のある会話文まで飛ばして読んで、あとから飛ばした描写をちらっと眼で追う、ということをするんだよ。
不思議なことに、同じことを『失投』の英文でも同じことをしていた。
もちろん、日本語翻訳を読むよりは遅い速度だけども、日本語を読むような感覚で描写を理解できるようになっていた。日本語でも、わからない単語があれば調べるまでもなく、飛ばすことあるじゃない?あれだよ。
それで、初受験時は落ちてしまったんだけど、大学入学したての頃に1級の問題を見た時のような、「手が届かない」という感覚ではなかったな。少し勉強すれば合格する、という手ごたえがあった。
ここらへんの詳細は過去記事見てよ(【鳥人間の受験体験】英検1級は独学で合格できるか)。
合格後の読書スピードはどんな感じだったケーンか?
枕元に置いといて、寝る前とか、夜中起きてしまったときとかに読み進めた。『失投』よりも速いスピードで、読めたな、1週間くらいかな。
高校時代や大学時代と違って、登場人物の性格とか、描写や動きが脳内で生き生きと映像になったのが印象的だったね。
かくいう鳥人間も大学時代に「1級は取らないの」と聞かれて同じようなことを言ってたね。
今ならわかるが、単語を覚えたり、英文を書いたりという地道な努力を嫌って、それでも自分は英語ができると思い込みたい心理から「準1級で充分」などと嘯いていたんだね。
当時の自分をぶん殴りたいといつも思っているよ。
でも、過去と向き合うことは大切だケーンよ。
「1」の人は基礎力を付けることを重点的に、「2」の人は薄めの本を1冊読み切ることを目標にすればいいよ。以前に紹介した『リーダーズ・ダイジェスト』(内部リンク)は1記事が1~10頁に収まっているから、『リーダイ』を読むのもいいね。
鳥人間も勉強して、さらなる読解力をつけていくよ。