じゃあ、読んでみてどう思った?
語り口が読み聞かせスタイル、3人称視点でない
例えば
太郎が眠りから覚めると、雪国だった。
みたいな語り口ではなく、なんだろう?読み聞かせる「私」という人がいるんだケーン。
その人がドン・キホーテなる人物の物語を見つけたので、読んでいる、という設定だケーンね。
出だしはこうだケーン。
第一章
名高い郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの人柄および生活ぶりについてそれほど昔のことではない、その名は思い出せないが、ラ・マンチャ地方のある村に、槍掛けに槍をかけ、古びた盾を飾り、やせ馬と足の速い猟犬をそろえた型どおりの郷士が住んでいた。羊肉よりは牛肉の多く入った煮込み、たいていの夜に出される挽き肉の玉ねぎあえ、金曜日のレンズ豆、土曜日の塩豚と卵のいためもの、そして日曜日に添えられる小鳩といったところが通常の食事で、彼の実入りの四分の三はこれで消えた。
セルバンテス 牛島信明訳『ドン・キホーテ前編(一)』岩波文庫P43
どうも、あまり収入がないみたいで、エンゲル係数はかなり高めだケーンね。
注釈によれば、当時は牛肉が羊肉より安かったということで、この郷士が貧しいことを表してるようだケーン。
他には、なにか気になったところはあるかい?
さっきの続きでこんなのがあるんだケーン。
語り手による過剰なまでの説明、そこから生じる笑い
さて、われらの郷士はやがて五十にならんとしていた。骨組みはがっしりとしていたものの、やせて、頬のこけた彼は、大変な早起きで、狩りが大好きであった。姓はキハーダ、あるいはケサーダであったといわれているが、この点に関しては、これを論じている作家たちのあいだにいささか意見の相違がある。もっとも信頼するに足る推測によれば、ケハーナと呼ばれていたものと思われるが。
前掲書p44
しかし、このことはわれわれの物語にとって大した問題ではない。この物語が真実からすこしも逸脱することがなければ、それで十分なのだから。
前掲書p44
ある意味では、セルバンテスの目論見通り、話に引き込まれているってことかな。
それで、そのキハーダだかケハーナだかはどんな人なんだ
ニート貴族、騎士道小説(ライトノベル)を読みすぎて引きこもりに
ところで、知っておいてもらいたいのは、上述の郷士が暇さえあれば(もっとも一年中たいてい暇だったが)、われを忘れて、むさぼるように騎士道物語を読みふけったあげく、ついには仮に出かけることはおろか、家や田畑を管理することもほとんど完全に忘れてしまった、ということである。こうした好奇心がこうじて読書がやみつきになった郷士は、こともあろうに、読みたい騎士道物語を買うために何ファネーガもの畑地を売り払い、その種の本で手に入るものをすべて買い込んだ。
前掲書p44
現代社会の問題をすでに予見していたケーンな?
それからこの後、この郷士は頭がおかしくなってしまうんだケーン……。
とりわけ、恋文や果たし状を読む段になると彼の胸はいっそう高鳴ったが、そうした個所には、しばしばこんな調子の文章が見られたのである―≪わが道理に素気(すげ)なく当たる、道理なき道理にわが道理も弱りはて、君が美しさを嘆き恨むもまた道理なれ。≫
―中略―
こうした文章を読んだおかげで、あわれな郷士は理性を失うことになった。
前掲書pp44-45
ちなみにセルバンテスは「世に悪影響を与える騎士道物語を駆逐する」という建前で『ドン・キホーテ』を書いたんだ。その真意はどうだろうか、読み進めていくとわかるよ。
さて、この後は村の司祭と騎士道物語の主人公たちのだれが一番強いかを議論したり、それに床屋の旦那も混じって激論を繰り広げるね。
まあ、言ってみれば、周りの人間もこの郷士の狂気を補強していくわけだね。
遍歴の騎士、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ誕生!
要するに、郷士はこの種の読物にどっぷりつかり、来る日も来る日も、夜は日が暮れてから明け方まで、昼は夜明けから暗くなるまで読みふけったので、睡眠不足と読書三昧がたたって脳みそがからからに干からび、ついには勝機を失ってしまったのである。
―中略―
実際に思慮分別をすっかり失くした郷士は、これまで世の狂人の誰ひとりとして思いつきもしなかったような、奇妙きてれつな考えにおちいることになった。つまり、みずから、読み覚えた遍歴の騎士のありとあらゆる冒険を実行することによって、世の中のあらゆる種類の不正を取り除き、またすすんで窮地に身を置き、危険にも身をさらしてそれを克服し、かくして永久(とこしえ)に語りつがれるような手柄をたてて名声を得ることこそ、自分の名誉をいやますためにも、また祖国に対する奉仕のためにも、きわめて望ましいと同時に必要なことであると考えたのである。
前掲書pp46-49
敵を倒しにいったら危ないだケーン!
引きこもっている者に特有の妄想からの万能感に至る感じが。
しかも、この郷士が50歳近いってのがポイントだよ。
体力的に無理できるギリギリってところで、なにかはじけてしまうっていう、この描写。素晴らしいね。
兜に面頬がついたものでなく、頭の上を覆うだけのものだったので、厚紙で面頬をつくるんだケーン。
で、敵の攻撃に耐えられるか、自分の剣で切りつけるケーンが最初の一撃で壊れてしまったんだケーン。
それで、厚紙と今度は細い鉄の棒を入れてそれっぽくしたんだケーン。でも、試す気にはなれず、ヨシ!O.K.としたんだケーン!
「鉄棒で補強したから大丈夫!」
「もう試さなくても大丈夫!これを付ければ面頬付きの遍歴の騎士」
という本人の自己暗示が感じられる。
名づけることにより固定される妄想~旧約聖書がモチーフか?~
馬小屋にはやせ馬しかいなかったけど、郷士には駿馬に見えたんだケーン。そして、この馬の名前を
ロシナンテ
と名づけることにしたんだケーン。
以前(アンテス)は駄馬(ロシン)であったが、現在はよにありとある駄馬(ロシン)の最高位にあたる逸物(アンテス)である
という言葉遊びだケーン!
それよりもなお、まず、「命名する」という行為によって騎士道物語の文脈を現実に固定させようとするこの郷士の意思を感じるね。
郷士にとって、もうこの駄馬は駿馬なんだ。
おそらくこれまで農耕に使われていたであろう過去は消え去って、騎士の乗るにふさわしい馬へと生まれ変わってるんだよ。
愛馬に願ったりかなったりの名前をつけてしまうと、今度は自分自身にも何かよい名がほしくなった。そこで、また思案にくれて一週間が経過したが、結局ドン・キホーテとなることにした。先にも少しふれたが、この実録の作者たちの一部が、郷士の本名はキハーダであって、他の者たちが唱えるようなケサーダではないと主張するのは、このドン・キホーテという名を根拠にしているのである。
前掲書pp51-52
こういうシリアスな笑いっていうのかな。
生真面目さが笑いを生むというのか、このような語り口が『ドン・キホーテ』の魅力の一つだね。
ドン・キホーテが巨人を倒し、その巨人を捧げものとして愛する婦人に献上するという、次のような妄想を繰り出すんだケーン。
ドン・キホーテ、中学生男子の妄想ノートを作成す
その巨人がわが愛しの夫人のもとに出向いて、その前にうやうやしくひざまずき、神妙に、かしこまった声で、こんなことを言うとしたら、さぞかし愉快ではなかろうか―「奥様方、手前はマリンドラニア島の領主にして巨人カラクリアンブロと申しますが、このたび、いかに称えても称えきれない騎士、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ殿と一騎打ちに敗れ、騎士のご命令により奥様方の御前にまかりいでました。どうぞ、手前をご存分になさってくだされ。」」
それにしても、われらの善良なる騎士がこうした台詞を口にした時のうれしそうな様子、さらには自分の思い姫にふさわしい婦人に思いあたった時の喜びようといったら、それはたいへんなものであった。
前掲書pp52-53
歳近くにもなって……だケーン
それで、この後も面白いんだろう?
さっきの「自分の思い姫にふさわしい婦人に思い当たった」という記述だケーン!
「思い当たった」という記述の補足があるんだケーン!
巷間伝えるところにようると、彼の村からほど遠からぬある村に見目うるわしい田舎娘が住んでいて、ひところ彼はこの娘に思いをよせていたという。もっとも、娘のほうではそんなこととはつゆ知らず、また彼もその気持ちを打ち明けるようなことはしなかったというが。娘は名をアルドルソ・ロレンサといい、彼はこの娘こそおのが思い姫の称号を与えるにふさわしい相手と思いなしたのである。―中略―娘がトボーソ村の生まれということもあって、彼女をドゥルシネーア・デル・トボーソと呼ぶことにした。
前掲書p53
遍歴の騎士には思い姫が必要!
でも思い姫がいない!
そういえば近くに昔好きだった娘がいた!
彼女でヨシ!
というなんというか……身近なところで見繕った感が凄いケーンね。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。(創世記)
つまり、現実世界に騎士道物語を定着させて、その文脈で行動する準備が整ったのさ。
これからが、我らが騎士、いかに称えても称えきれない遍歴の騎士、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの冒険の始まりさ!
じゃあ、続きの感想も近いうちに公開するケーン♪