鳥人間の鳥人軒というブログには、鳥人間と雉というメインキャラクターがいます。 鳥人間は英検1級保持者で、英語学習や園芸などに興味があります。雉は鳥人間の相棒で、ブログの更新情報などをツイートしています。二人は漫談形式で様々な話題を紹介しています。
チャットGPT検索結果
雉は世界一の貿易商になるため、e-bayと北米amazonに出品しているケーンが、最近は辞書を引くこともなく、チャットGPTの翻訳に頼っているんだケーン。
もうこれ、英単語を自分で覚える意味はなし、そもそも外国語を自分で勉強しなくてもいいケーンね?
外国語を学習する意義は2つ
1翻訳ツールの妥当性を検討できること
辞書を引きながら合っているかどうか確認をすればいいんだケーン。
チャットGPTが日本語を英語に翻訳してくれるので、単語を学ぶ必要がない。しかし、翻訳が正しいかをチェックするために、辞書を引く必要がある。
ということは、翻訳が正しいかをチェックできる英語力は必要になる、ということだね。
だけど、翻訳された単語の中で自分が知らない単語を辞書で引いて、翻訳が正しいかを調べるだけだケーン。
全体的にかかる時間は節約できているんだケーン!
でもさ、考えてごらん。翻訳された英文や表現が、日本語におけるニュアンスや表現と一致しているかを調べたり、妥当であるかを判断するためには、正しい英語の知識や英文の蓄積がないとできないんじゃないかな?
仮に暗記していなくても、翻訳文が妥当であるかを調べる技術やコツを習得していないと、正しく相手に言いたいことが伝わらない可能性はないかい?
例えば、雉がe-bayの取引で、取引先から返金を求められたような場合、自分で妥当であるか確認ができない翻訳を使用するのは怖くないかい?
そんな時には翻訳ができる人にお願いをしたいと思うケーン。
もっとも、AI翻訳が進歩してるから、自分自身が外国語でしゃべったり書いたりする必要性はどんどん下がっていくと思うよ。
だけど、最低限の外国語の知識があれば、チャットGPTなどの翻訳ツールを上手に使いこなしていくことができる。
つまり、仕事で、道具として翻訳ツールを使う人には、翻訳したい外国語の知識は絶対にあった方がいいんだ。
2.言葉に対する鋭敏さを養い、母国語を豊かにできる
これが外国語を学ぶ真の目的だ。
古来、全世界の初等・中等教育において外国語の古典の暗唱が導入されていた。
日本で言えば、論語などの漢文の素読(そどく)、ヨーロッパで言えばラテン語やギリシア語が過去数百年必須科目になっていた。
この目的は、外国語を習得するためでない。
自国語と異なる言語体系を学ぶことで、記憶力や読解力などの頭脳の基礎を鍛えるためなんだ。
その過程で、元の日本語の無駄な表現をそぎ落とし、洗練された日本語を作ってから、英語にするんだケーン。
ケーン!?これが、言語に対する感覚を磨く、ということだケーンね。
つまり、外国語を学ぶことにより、新しい考え方や行動様式を理解して、用語を翻訳し、日本化させるということに成功した。
逆に、自分の実力に自信がない人間ほど、安易に外国語をそのままカタカナ表記にしたり、原語をそのまま載せたりしている。もっと、全人格をかけて言語に向き合ってほしいね。
昨今、大学における人文科学の地位が低下しており、まして文学部なんて役に立たないので予算を割くな、という風潮がある。
しかし、何度も言うように日本語にない新しい概念、考え方を取り入れて、日本に定着させることが外国語を学ぶ意義であるので、その総本山である大学の文学部に頑張ってもらいたい。
文学部●●語科が、安易に、単なる外国語スクールにならないよう、研究機関にふさわしい、学問的態度を維持してほしいと思うよ。維持できなくなった時が、文学部が死ぬ時だ。
でも、フランス語やラテン語を取り入れて(三省堂辞書ウェブ編集部による ことばの壺)、抽象的な話題も話すことができる、現代の英語になったんだケーン。
結論:実用面、文化面から外国語を学ぶ意義はある
1実用面
2文化面
双方から意義がある。
もちろん、チャットGTPなどの翻訳ツールはすごく便利なものなのだよ。
翻訳ツールの機能を最大限に使えるように、使用者の外国語力もつけていきたいね。
だけど、仕事で使う可能性があったり、トラブルが起きる可能性があったりする人は、ツールを正しく使いこなせるように外国語の知識が必要となるケーン。
さらに、各分野でそれまで日本にない概念を理解し、日本に定着させるためには、その概念の元となる言語や文化に対する知識が必要となる。これはどちらかというと研究者やマニアだケーンね。
最後に鳥人間の愛読書『外国語の学び方』(渡辺照宏著)を引用しておくよ。
もちろん歴史を見ても明らかなように、どの国でも国語の発展のためには外国語の影響が大きな役割を果たしています。古代ローマのラテン語の発展完成にはギリシア語が模範になっていたし、近代ヨーロッパ諸国語もすべて古典語や先進諸国の言語に学んで現在の形にまで進展したのです。フランス語やドイツ語の精密複雑な表現法もはじめからあの通りであったのでもなく、また自然にそうなったのでもありません。言葉を使う国民の意識的な努力の賜物に他ならないのです。
面白半分に外国語をやたらに使うのは子どもっぽい好奇心からです。子どものいたずらならそれですみますが、大人までが子どものいたずらの仲間になっていたのでは困ります。じつは自国語を尊重することと外国語を学習することとは矛盾するどころか相助けあい相補うものなのです。
渡辺照宏『外国語の学び方』岩波新書pp23-24