なんか近距離でペチペチ殴り合っているんだケーン!
ぺチぺチ動画の格闘技は「喧嘩芸骨法」
これはな、喧嘩芸骨法、という格闘技だ。
なんか強そうな名前だケーンが、なんでペチペチビンタしあっているんだケーン?
起源は奈良時代と自称~のちに虚構と創始師範が書物で認める~
1986年プロレスラーのアントニオ猪木がボクサーのレオン・スピンクスと異種格闘技戦をすることになったんだ。
モハメド・アリを倒したともいわれるこのボクサーとの対決を前に、アントニオ猪木が喧嘩芸骨法の道場に通った。
そして「浴びせ蹴り」を伝授されたことで、喧嘩芸骨法の名は一躍有名になった。
創始師範である堀辺正史(ほりべせいし)によれば、路上での喧嘩のための実践的戦闘芸を標榜しており、その起源は奈良時代にまでさかのぼると言われている。
猪木・スピンクス戦の翌年・1987年に発行された、堀辺氏の著作から引用するよ。
堀辺正史(ほりべ せいし)
昭和十六年、茨城県水戸市に生まれる。九歳のときから、東条英機のボディガードを務めた父より、骨法をたたきこまれる。無類の修行と喧嘩・他流試合を重ねたすえに、伝来の骨法を改革し、既成概念を超えた戦闘理論と新技の数々を独自に編み出した。
喧嘩芸骨法創始師範。中華民国台北県国術会顧問。著書に「骨法の秘密」(こう書房)がある。
堀辺正史『喧嘩芸骨法』二見書房 裏表紙より引用
色々盛り込みすぎてお腹いっぱいだケーン。
読者の皆さんが、ここでブラウザを閉じてしまわないか心配だケーン。
それはともかく、喧嘩芸骨法の設定について箇条書きにすると次の通り。一応真偽と証拠もつけておくね。
- 骨法は奈良時代、大伴古麻呂が創生
↑嘘(『骨法の完成』p103) - 大伴氏と藤原氏の対立で大伴古麻呂が兵に囲まれた時、伝説の技「徹し」を放ち、鎧の上から背骨を砕き、砕かれた背骨が背中側の鎧を貫通していた
↑嘘(『骨法の完成』p103)
- 古流骨法は、堀辺氏の父まで一子相伝で伝えられ、堀辺正史が第52代を継承
↑嘘(『骨法の完成』p103) - 「徹し」は時代が下り、失伝したが、堀辺氏が現代に技術を蘇らせた
↑嘘(『骨法の完成』p103)
神代の技!大伴古麻呂と五十二代司家!それら伝説の「旧約」時代は武道教育試合の三競技と、武道制試合の「新訳」の誕生とともに終わりを告げた。
否!私自身の口から「伝説は虚構だった」とはっきり宣言することで、さらなる未来へと進むためのケジメとしたい。
堀辺正史『骨法の完成』二見書房p103
それにしても『骨法の完成』p103は万能すぎて禁止カードに指定されそうだケーン!
インターネットのない当時、専門的な内容の情報は『喧嘩芸骨法』といった単行本や『週プロ』、『格闘技通信』といった雑誌から入手するしかなかった。
だから、武術や格闘技を習っていない若者が、堀辺氏の本や格闘技雑誌で骨法の理論に触れると、骨法の情報だけで純粋培養されてしまい、一気に信じ込んでしまうんだ。
まして、プロレスで大人気のアントニオ猪木が習ったという触れ込みで、新しい理論「掌打」を提唱していたからね。
時代が求める設定を格闘技に盛り込む、見事な商才
一言でいえば、日本古来の秘拳というロマンと喧嘩の技術の融合かな。
堀辺氏はとても頭がよく、文章では理詰めで、非常に説得力があるんだ。
ここまで馬鹿にしたようなことを言ってきたが、当時はやっていた漫画『北斗の拳』の一子相伝の拳法という設定や、ブルース・リー映画のようなコスチュームを胴着にしたり、時流を読む能力にも長けている。
さらに、著作の中で、一つ一つの技にドラマチックな演出を入れているんだ。まるで、漫画のようにね。
堀辺氏の海外での他流試合描写を入れて、その中で生まれた技がこれだ!といきなり技の写真が入ったりするんだよ。
- 押入れの行……押入れ中で、長さの異なるロウソクに火をつける。一本ずつ消えるにつれ、押入れが暗くなる。数日行うと、目が慣れて最後の一本が消えても、押入れの中の様子が分かるようになる。
堀辺氏はこの修行のおかげで、ヤクザとの戦闘で命拾いをした。 - 飛んでくる皿を避ける……幼少期食事中に、堀辺氏の父が皿や小鉢を投げてくる。それを避ける修行。
- 寝込みの襲撃……就寝中にたたき起こされ、堀辺氏の父が説教。曰く「お前の寝顔は修行者のものではない」。いつ襲撃を受けても対応できるようにする修行。
当時の若者はこれを真に受けていたんだケーン?
その格闘技の理論はどんな感じだったのかケーン?
骨法、掌打と立関節の理論~路上で倒されない戦闘哲学~
だが実際は……
ちなみに、堀辺氏は理由を説明するのに、さりげなく過去の武者修行時代の体験を入れるんだ。
だから根拠となる、引用元のページ数が長くなっているのにも注目してほしい。
- 鎖骨を顎につける
→顔を殴られても脳が揺れない
海外のマフィアの用心棒が同じ技法を使う(『骨法の極意』pp46-52) - 猫背になり胸をへこませる
→体に空気が入るので攻撃のショックを和らげる。
ボクシングでは呼吸の継ぎ目にパンチが入るとKOされやすい、それを防ぐ(『骨法の極意』pp54-61) - 腰を据える
→重心が下に移動し、投げられにくい
重心が上げると簡単に持ち上がるが、下げると力を入れても持ち上がらない(『骨法の極意』pp54-61) - 膝を曲げ、両足に均等に重心を置く
→膝を蹴られても折れない、またすり足でのスピーディーな移動が可能
「膝蹴り直さん」なる老ヤクザの戦闘を参考にした(『骨法の極意』pp35-40) - 拳でなく、掌打を使う。金的、目つぶしも練習に取り入れる
→拳を構成する骨はもろい。頭の骨は固い。実戦で拳を使うと拳を割れる可能性がある。
掌で打てば骨は折れないし、人体は水なので、打撃の衝撃が効率よく伝わる(『骨法の極意』pp108-131)
武術や格闘技の経験がない若者が読むと、納得してしまう。
雑誌やテレビにも出ていたから、「すでに認められた技術だ」と信じてしまう。
だから、堀辺氏のマーケティング力や広報力は素晴らしいものがあると思うよ。
そして、骨法の道場性が骨法の理論で乱取り(練習試合)をしているのが、雉が見せてくれた動画だよ。
でも、街中の喧嘩なら、相手は素人だったり、ボクシングだったりして、骨法の間合いでは戦わないケーンよね?
実際のところ、骨法が想定している路上の喧嘩で使えるのかケーン?
このころの「喧嘩芸骨法」は他流試合をしていないから、他の格闘技に対して有効であるかも検証ができていない。
しかも、骨法は90年代に入り、喧嘩芸から武道「日本武道傳骨法」へと変化していく。寝技を取り入れたんだ。
それにより、従来の「掌打に関節技のコンビネーションに特化した技術体系」が別の体系に変化していく。
1993年11月13日に行われた「第1回骨法の祭典」では、掌打と立関節技の限定乱取りだったものが、1994年11月12日開催の「第2回骨法の祭典」では「総合乱取り」として、胴着着用で寝技も使用するようになった。
背景には、1993年11月12日、アメリカのコロラド州デンバーで行われた「ジ・アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ」、通称アルティメット大会の影響がある。
噛みつき、髪つかみ、目つぶし、金的以外ならなんでもありというこの大会で、ボクサーや相撲取りなどの有名格闘技を抑えて優勝したのが、グレイシー柔術の使い手、ホイス・グレイシーだった。
これにより、グレイシー柔術や寝技に注目が集まった。それで、骨法も寝技を取り入れ始めたんだね。ちなみにこのころの本で「グレイシー柔術を倒せる可能性がある格闘技は骨法のみ」なんて言われていたこともある。ちょっと引用してみよう。
しかし骨法は、打ち、掴み、投げ、関節を決めるという別々の技がひとつの自然の流れのなかに抵抗なく組み込まれているのだ。
(中略)
私の知る限りにおいて、これほどまでに見事に打撃技と捕獲技をひとつに体系化した格闘技というものを見たことはない。また、攻撃ばかりでなく防御に精通していることも大切な要因である。
(中略)
だからこそ進歩が必要不可欠だ。現状の問題点や弱点を認め、反省し、改善する能力があるからこそ、骨法には最強の座を手中に収めるだけの可能性を持っているとい言えるであろう。
大沼孝次『最強の格闘技は何か』光栄1996
1996年骨法初の他流試合~骨法の2大エース惨敗~
しかし、結果は惨敗と言われている。小柳津戦の動画を貼っておくね。
寝技に入ってからは、骨法にノウハウがなかったケーンかな?
確かに、短時間で決まっているから惨敗だケーンね。
この大会で、今でも語り草になっているのが大原とブラジルのペドロ・オタービオの一線である。オタービオは日本で行われたバーリトゥード大会で北尾選手を破って一躍、名をあげた選手で身長は二メートル近い巨漢だった。確か、大原とは身長で三十センチ、体重でも二十キログラム以上の差があった。
試合は制限時間三十分をフルに戦って、大原が判定負けとなった。先に「語り草になっている」と書いたのは、この試合で大原が、オタービオから百二十発のマウントパンチを浴びたことだろう。それだけのパンチを食らったのだから、この試合は骨法惨敗と素人の目に映ったのは至極、当然であった。
だが、私は馬乗りという必殺状況で百二十発ものパンチをもらいながら、「まいった」をしなかった大原に、他の多くの外人選手たちが驚嘆の感情を表し、称賛していたことで、「わかる」やつにはわかると、ひそかに誇りに思ったのである。
『骨法の完成』p23
次のページから恐るべき弁護が続くから。
ちなみに、ビジネスとしての興行に骨法が参加したのはこの「UVF大会」が初めてだったが、実際に参加して私は興行の恐ろしさというものをつくづく思い知らされた。
そもそもこの大会は、三十分フルタイム戦った場合はドローにするのか、判定にするのかも曖昧なままに始められるなど、ずさんな運営ぶりが目立ったが、何より、私があっけにとられたのは、事前のルール打ち合わせが、いざ試合が始まったとたんにアッサリと破られてしまった。
(中略)
あとでわかったことだが、この不可解なブレークにははっきりとした理由があった。オタービオは、この試合後、新日本プロレスのマットに登場することが、すでに決まっていた。そのせいで、主催者はオタービオに勝ってもらわねばならぬ理由があった。それが「ルール」を守らなければならぬ立場のレフェリー自らが、突然のブレークを命ずるという暴挙をおこすことになったのである。ただし、私の総合的な判断ではオタービオ自身はこの「八百長」にはまったく関係がなかった。彼の名誉のために申し添えておく。
『骨法の完成』pp24-25から引用
その後も紆余曲折を繰り返して、現在でも道場はあるらしい。
堀辺氏は2015年にお亡くなりになったようだけどね。
骨法とはなんだったのか~その功罪~
90年代のゲームで骨法を取り入れたものは意外に多い。
SNKの対戦ゲーム『餓狼伝説』シリーズのキャラクター「アンディ・ボガード」が使用する流派が骨法だった(のちに変更)。
またエニックス(現スクウェア・エニックス)のゲーム『LIVE・A・LIVE』の現代編では堀辺氏をモデルにしたキャラ(森部生士)が出てくる。しかもこのキャラから覚えられる「あびせげり」と「通打」が超強力で、現代編の主人公をメインで使う(唯一の)理由になっている。ちなみに、今ニンテンドーswitchでリメイクされている(amazon)。
たぶん、骨法以外にちゃんとした伝統武術や90年代に生まれた新興格闘技で今でも残っているものはあると思う。
でも、一個人道場があそこまで影響力をもったのは骨法が最初で最後じゃないだろうか。
ひょっとして、最初の掌打に特化して「喧嘩芸」のままでいたら、差別化ができたかもしれないケーンね
ちょっと引用してみよう。
まさにそれはコロンブスの卵のような発見だった。ルールというものは、選手の戦いを限定し、スポーツ化させてしまうだけでなく、選手がいつでもノールールの戦いに移行できるように巧みに作られたルールでもある、というこれまで私がまったく気が付かなかった一面が見えてきたのである。
これがわかれば、柔道と柔術の違いがおのずと明らかになってくる。ブラジリアン柔術の試合では、ポイントを獲得していく過程をきっちり守って試合ができるようになれば、その選手はバーリトゥードに出ても戦えるだけの力がついてしまうように、バーリトゥードに沿った形でルールが作られているのである。
(中略)
いいかえれば、ブラジリアン柔術は、スポーツのルールを巧みに利用しながら、練習生たちに実践でのノールールでの身の守り方を習得させる護身術の「躾」をしていたのだ。その点が、相手から身を守る護身術の要素をそぎ落とすことで成立している、柔道との決定的な違いだったのだ。
『骨法の完成』pp33-34
だからこそ、ブラジリアン柔術では、他の格闘技であるような、「その競技でしか有効でない技術」が試合で出ることはない。つまり「試合巧者の実戦下手」ということが起こらないようになっている、ということケーンか?
日本武道傳骨法では、武者相撲なるものがあったらしい。
身を守るための技術体系「分母競技」という概念に基づいた技術体系だ。専門の攻め技を学ぶ前に身につけるもの、という位置づけだね。
現在はどうか知らないが。
雉もボクシングやってるから、骨法を取り入れてみようかな?ケーン
【骨法三部作】
『喧嘩芸骨法』すべての始まり、ここから幻想は始まった
『骨法の極意』『喧嘩芸骨法』が小説だとすれば、この本は技術の概説本。掌打の打ち方、蹴りとのコンビネーションなどが記載。
『骨法の完成』旧約(『喧嘩芸骨法』での盛りすぎた設定)を虚構だったと宣言。新時代の格闘技の完成を告げる(なお、その後もスタイルは変化する模様)、DVDもあります
『ザ・喧嘩学』『格闘新書』↓表紙からもわかる通り、三部作にハマった人たち向け。堀辺師範のありがたい言葉が載っている。しかし、格闘技に関する考察は今も一読の価値あり。
強い骨法が見られるのは、『LIVEALIVE』だけ!スーパーファミコンのカルト的名作がswitchで遊べる!